姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

モノが残っていないからこそ歴史を残さないと文化がなくなります。

こんばんは。

 


先日、小学校で鯱つくり体験の指導をした時に少し瓦の歴史について

生徒達の前で話す機会を頂きました。

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と言っても瓦全般の歴史ではなく、「深志野瓦」と呼ばれた当社がある地域で

製造されていた瓦の歴史です。深志野は地名ですね。

 

当社は大正3年(1914年)に瓦の製造業として曾祖父が創業しました。

当時は村の中に15件近く瓦の窯があったそうです。

近くの田んぼを掘り返した下の地層で良質の粘土があり、それがかなりの

高温での焼成に耐えられたため瓦に向いていたとの事です。

私が生まれたころには窯は7件ほどになり、現在では窯は1基もありません。

瓦の仕事をしているのも当社だけになりました。

会長である親父の世代はまだ製造の時代の事をよく知っているので、

「深志野瓦」の製造の様子や資料を作っておいて欲しいと依頼しています。

鯱つくり体験も最初は地元の産業を知るという社会科見学の一環として

始まった行事やったんですよね。

学校から自分の家に見学に行って、また学校に戻るのが不思議な感覚でした。

 

そんな話を生徒や先生たちにしながら

「この辺りが瓦の産地やって知ってた人いる?」って聞いてみたら誰も

知りませんでした。

まぁ、自分の家が瓦の人!って聞いてみても2割くらいしか知らない状況なので

仕方ないといえば仕方ないんですが・・・。

 

そんな状況を見ていると、瓦そのものが残っていなくてもしっかりと歴史を

伝えていかないと、瓦を製造していたという文化そのものがなくなって

しまうなぁって感じました。

会社が生き残るためにも文化を伝えていかないとです。