姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

あれから22年です。あの震災で自然災害についての意識が変わりました。

こんばんは。


姫路の瓦屋さん表(おもて)です。
寒波は少し落ち着いたけど北部はまだまだ雪が残っていました。
また週末にかけて寒くなる予報も出ているので警戒が必要ですね。

 

阪神淡路大震災から22年です。

 

関西では阪神淡路大震災から22年の式典などの報道がかなり多
かったです。

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当時私は高校2年生でした。姫路は震度4やったんですがかなり
長い時間揺れていた事を覚えています。
まだ寝ている時間やったんですが、家のガラスがビリビリと震え
ていて最初は隣の部屋の弟が早朝からドタバタと遊んでるんかと
思いました。
近畿地方は大きな地震は来ないという根拠のない説がまだ信じら
れていた頃やったんで、地震やって分かった時はびっくりしたけ
ど家の中は特に大きな被害はなかったので、二度寝しようと布団
に入ったくらいです。
無事を確認に2階に上がってきた親父に起こされて結局二度寝
出来ませんでしたが。

 

学校が休みの間家を手伝っていました。

 

姫路市内の高校は休みにならなかったみたいですが、私は明石ま
で通っていたのでJRが動かなかった事もあり1週間休みになり
ました。その間、家の仕事を手伝って屋根のシート掛けのバイ
をしていたんです。
屋根の上から見ると屋根の瓦がズレたり棟が崩れたりしている家
が帯状に繋がっているのがよく分かります。
揺れの方向と断層の位置がはっきりと分かったのがとても怖いと
思ったのを覚えています。
あれから半年くらいは余震が来る前に「あ、地震来る!」って分
かるくらい地震に敏感になっていました。

 

まだ「震災」は終わってないです。

 

あれから22年経って、町並みは復興したように思います。
当然それまでの町並みと同じには戻っていませんが、倒壊した建
物もなくなったし更地になってしまったところにも新しい建物が
出来ています。
でも「地震」の「災害」っていう意味では震災はまだ終わってい
ません。
当時、屋根瓦がズレたりで修理した家できちんとした工事が行わ
れておらず不具合に気付かないまま放置されて建物そのものに影
響が出てしまった家もあります。

これから南海・東南海の地震が懸念されています。災害への備え
を再度確認する一日にしないとですね。