姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

姫路城の周りに瓦屋根がないのはなんか寂しいなぁ。

こんばんは。
姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
今日からGW突入ですね。早くもあちこちの高速道路で渋滞しているとか空港から海外への出国者が何万人やとかってニュースが聞こえてきました。みんな休みになると休んでいない所に大挙して押し寄せるのは仕方がない事やとはいってもなんか風情がないですよねぇ。もう少しのんびりしてもいいのにって思います。
そう言いながら連休中に出掛ける予定はしているんですけどね。

 

姫路城の周りは瓦が少ないんです。

 

姫路に住んでいる地元民はあまりお城に登らないという話があります。実際、地元の友人達は小学校の時の遠足で登って以来行ってないってという人も結構います。私はそんな説とは関係なしに最低でも2年に1回くらいは登ってるんですが。平成の大修理の時は素屋根がビルみたいになっていて最上階では大天守の一番上の屋根の修理風景が見られる上に反対を向くと姫路の街が一望出来てさらに天気が良ければ瀬戸内海まで見えるという見晴らしの良さでした。
でもそこからの眺望は残念ながら「城下町」からは程遠いんです。お城の正面はJRの駅から延びる片側3車線の道路とその両側に建つビルで、そこから左右に視線を移しても瓦の屋根はほとんど見えません。
空襲で焼け野原になった後の開発でビルだらけになってしまったんです。

 

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元々は駅まではお城の内側でした。

 

元々の姫路城は現在のJR姫路駅があるところが外堀でした。そして国道2号線が通っているところが中堀で今残っているのは内堀だけです。そもそも明治に入ってすぐに姫路城は個人の所有物になった事もあるそうで、その人物は解体して資材として売ろうとしていたという話まで伝わっています。
それをなんとか残そうとしたのが陸軍の方やったそうなんですが、その話はまた別のネタとしておきます。(笑)
戦争の頃は姫路城の敷地内には陸軍の施設があった事もあって空襲の標的になったようで、「お城が空襲の目印になるから残った」などと言う説もあるみたいですが実際には本当に偶然残っただけのようです。
そして木造の建物ばかりやったお城の周辺は完全に焼け野原になってしまって現在の姫路の姿になったようです。

 

開発もいいけど景観も大事にしたいです。

 

姫路城を中心とした半径2kmは瓦屋根の建物が2割か3割ほどしかないという研究結果も以前、新聞で読んだ事があります。城下町やのにいくらなんでも低いですよね??田舎なので姫路駅周辺から離れたら少しずつ瓦屋根が増えて行って、私が住んでいるところはお城から直線距離で4kmほどなんですが、瓦屋根の家ばかりになります。
最近は田んぼがなくなって分譲住宅が増えたせいで金属屋根の住宅も増えましたが、元々瓦の産地やっただけあって既設の住宅に関しては瓦屋根ばかりやった事がドローンを飛ばしたら確認出来たのでちょっと嬉しかったです。
近代的な開発をするのもいいけど、歴史のある街なんやから景観も大事にしたいなぁ。