姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

屋根の上から地元を見渡してみて決意を新たにしました。

こんにちは。


姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
今日もめちゃくちゃ暑いですね。現場調査で走り回っていると車内と屋根の上の温度差にクラっとしてしまいます。夏らしいといえば夏らしいけど今夏は猛暑の予報が出ているので本格的な夏が到来するのがちょっと怖いです。

 

工事中の屋根から周囲を見渡すのが好きです。

 

現在工事させて頂いてるのは地元の住宅地の中で道幅がかなり狭いところなんですが、古い家が密集していて工事するのが大変です。でも屋根に上がって周囲を見渡すといぶし瓦の家並みが並んでいるんです。古い瓦の家も多いけど、まだ新しいところもあって、こういう風景を見ると嬉しくなります。
もちろん、場所によるので分譲地に行けば分譲地なりの家並みになっているんですが、それはそれである意味統一感が出ていて面白いんです。

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昔は瓦の産地でした。

 

もともと私が住んでる地域は瓦の産地としてそこそこの知名度があったようです。祖父の代には神戸や西宮と言った交通が発達した今でもちょっと遠いなって思うような地域からも注文を頂いていたという話を聞きますし、記録を調べてみると当社のある道筋だけでも7軒の窯元が軒を連ねていたようですし、最盛期には10軒以上の窯元があったらしいです。私が産まれた頃には4軒にまで減ってしまい、今では当社だけになっています。
住宅が増えて瓦の焼成時に出る煙による煙害などの要因と流通網の発達で三州や淡路などの大生産地から大量生産された安価な瓦が手に入るようになった事が廃業していった要因です。

 

深志野瓦を復活させたいというのが夢です。

 

私の一番大きな夢は「深志野瓦」の復活です。当社は父の代で製造業から工事業へ転向して設備も全てなくしてしまいました。でも親父を含めて、製造していた当時の事を知ってる人がまだまだ一定数は残っています。そういった人から瓦の製造方法やデータなどを教えてもらうのが第一歩ですね。
今の段階では夢のまた夢な話で笑われるのがオチなんですが30年後くらいには叶えられるように頑張っていきます。