姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

建築資材の中で一番最初に大量生産化したのは瓦なんです。

こんばんは。
姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
一昨日が夏至やったそうで、これからは少しずつ日が短くなっていくみたいです。暑くなるのはまだまだこれからやのにもう日が短くなっていくと言われても実感が沸かないですね。ふと気が付くともう6月も終盤、1年の半分が終わろうとしています。年々時間が過ぎるのが早くなっていってるので、いろいろやりたい事、やらないといけない事を考えて焦ってしまいます。

 

そもそも建築は現場加工が基本でした。

 

今でこそ、新築で建物を建てる時の資材は工場で加工したモノを現場で組み立てる形が当たり前になっていますが、昔は材料を現場で加工するのが基本やったんですよね。
木造住宅で言えば、木材を現場で加工しなくなったのは本当にここ15年とか20年くらいでそれ以前は大工さんが仕入れた木材を現場で必要な寸法に加工したり、表面を鉋掛けして仕上げたりするのが当たり前でした。もっと大昔まで遡ると建物を建てる場所が決まったらその周辺の木を切って木材に加工したり、土を掘り返して壁土にしたりしていたんです。
今みたいに流通網が発達していなかったので、わざわざ他の場所で加工したり作ったりしたものを運搬するよりも現地で加工する方が手間がかからなかったんです。

 

瓦は最初の工場生産品です。

 

建築資材の中でも特に瓦は最初に工場生産品になりました。江戸時代の中頃よりも前は瓦はお寺やお城など特殊で大規模な建物で使われる事がほとんどで、そういう建築物の計画があると計画地のすぐ隣に瓦の向上を作ったんです。
建築場所を整地した時に掘り返して出てきた粘土が原料で、建築資材として伐採されて加工されたもの以外の木材が燃料となって製造されたんです。
たまに昔の建物跡から瓦の欠片が出土したって話がありますが、あれはそこにあった建物の屋根に葺かれていたものの他に現地で生産して余った瓦が埋められたものが多く混ざっているんです。
近代に入ってから瓦の産地が固定されるようになると山から粘土を切り出したり、田んぼを掘り返して粘土を採掘したりしていたので効率化のために産地には多くの瓦屋さんが集中するようになりました。

 

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 この下に良質の粘土層があるそうです。

 

歴史と共に品質も変化してきました。

 

今は住宅に瓦が採用され難くなっていて、業界では瓦離れを危惧していますがこれまでにも何度か「瓦離れ」と考えられる事はありました。40年くらい前に「瓦棒」という鉄板の屋根材が出てきた時も瓦の採用はかなり減ったって話を聞きます。
また歴史的に見たら、応仁の乱の時には京都が焼け野原になって、瓦を作っていた職人が避難のために全国あちこちに散らばってしまったという話が書いてある本もありました。その時には瓦の品質が大きく落ちてしまって信頼を取り戻すのにかなり苦労したようです。
今の状況も乗り越えてみたらきっと「あの時は大変やったなぁ」って過去形で語られるようになるはずなので、その未来を目指して頑張らないとです。