姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

効率を求めると「文化」がなくなる気がします。

こんばんは。
姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
防滑工事の試験施工でまたまた夜中に神戸まで行ってきました。営業終了まで待っている間に目の前に停泊している船とお月さまが綺麗に見えたので思わず1枚写真を撮ってみたんですが、高性能のiPhoneでもやっぱり人間の見た目通りの写真は撮れないですね。綺麗には撮れてはいるんですが実物の方がもっと綺麗でした。

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父の葬儀に思った事。

 

生前、父は「自分の葬式はお寺から出して欲しい」と言っていました。もちろん、コロナの流行前の事です。コロナ前でさえ葬儀会館での告別式が主流になっているのを知った上で自分は地元のお寺からの葬儀を希望していたんです。
それは葬儀を段取りする側からするととても大変なんですが、それでも父の言っている事には納得できる部分も多々あったんです。それでもまだコロナの流行が完全に終息したとは言えない状況では会館を使って「家族葬」という形にした方が良いと母と相談して決めました。父の交友関係の広さからとても「家族葬」とは言えない規模になってしまったのは予想外でしたが。

 

冠婚葬祭は地元の繋がりを作る場でした。

 

昔から冠婚葬祭は地域の中での近所付き合いなどでの繋がりを作る場となっていたように思います。特に葬儀では近隣の方に協力して頂かないととてもではないけど遺された家族だけでは執り行えません。
父は地域から自分の葬式を出す事によって私たちが地元での付き合いをし易いようにという事も考えていたんやと思います。
また家族葬にしてしまうと葬儀に参列出来ず、後から知った人が家にお悔やみに来られる事によって母や私がその対応をしなければならない状況になってしまうので、出来るなら家族葬ではなく一般葬を希望していたようです。

 

効率を求めると大事なものが後回しになります。

 

コロナ禍で出来るだけ人が集まらないようにと家族葬が爆発的に増えました。確かに家族葬は集まる人も少ないし遺族側からすると効率も良いしその時は楽なんですよね。でもそのせいで親戚同士の付き合いや近所での付き合いなどがどうしても希薄になってしまいます。もし家族葬にしていたら私は父の交友関係をほとんど知る事が出来ず、後々困る事になったと思います。
父は常々「文化を守らないと」という事を言っていました。私自身も同じように思っているつもりでしたが、父の葬儀を経験してもう一歩踏み込んだ「文化」を考えるようになりました。