姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

本は整理していかなければどんどん溜まるものです。

こんばんは。
姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
早いモノでもう8月も後半に突入です。甲子園も明日が決勝戦大阪桐蔭と金足農が対決ですね。別に高校球児ではなかったんですが、甲子園が終わると夏が終わったって感じてしまいます。一応、小学生の頃は野球少年で甲子園に憧れは持っていたので。時間があったらテレビに齧りついて甲子園の試合を見てるんですが、仕事してるとそういうわけにもいかないので、移動中の車のラジオで熱戦の行方を見守りたいと思います。

 

図書館には無限に本が収蔵出来るわけではありません。

 

先日、高知県立大が図書館の新設にあたって古くなった蔵書を38000冊ほど処分した事がニュースになっていました。記事の見出しだけ読んでるとただただ本を焼却処分したように捉えられるような書き方がしてありましたが、内容をよく読むと処分されたのは「複数冊ある本」が約半数、それに雑誌や書籍などらしいんですが、きちんと図書館の司書さんや分類ごとに専門性のある教員が除去候補リストを作って、系列の他の図書館や研究室に移管しながら残ったものを処分したとの事です。
ネットでは「公的な機関に預ける」とか「市民への譲渡会を行う」などの対応が出来なかったのかって批判が相次いでいるみたいですが、そもそも「県立」大学やからその図書館自体がある程度公的な機関ですよね。そして預けられた図書館にしても収蔵量は無限じゃないのにいきなり大量の本を預けられても困りますよね。

 

本を整理、処分する事と焚書は意味が全く違います。

 

そして極一部の人が「焚書や」って騒いでるという話も耳にしました。ちょっと耳を疑いましたね。「焚書」とは広義で言えば確かに書物を燃やす行為の事を指すけれども実際には支配者や政府などによる組織的なものの事です。
公的機関である県立大学の図書館が焼却処分した事に過剰反応してしまったんでしょうけど、特定の思想に偏って処分したなんて話はどこにも出ていないし、きちんと残せるものは残すように配慮して研究室に移管した図書もあるのにそれを「焚書」と言ってしまうのはちょっと視野が狭いように感じますね。
ネット上の批判も市民への譲渡会などを開催したところで残るものは残るし、大学図書館にある専門性の高い書物は特に一般の人が欲しいと思うようなものって少ないと思うんですよねぇ。

 

図書館の収蔵量には限界があります。

 

私も大学の図書館にはよく行ってたので分かるんですが、専門性の高い書物になればなるほど、読まれる頻度はめちゃくちゃ低いんです。前に借りられたのが5年前とか当たり前にあったし。それでも大学の図書館は学生が研究する為に必要な資料として膨大な数の書物を収蔵しているので、きちんと整理して処分していかない事にはいくら収蔵量が多い図書館を作っても意味がありません。
実際、国会図書館などは古い書物の電子化を進めているという話もあります。古い資料は状態が悪くなりやすいので保存の為にも利用のためにも電子化する方が便利なんだそうです。
個人や会社で所蔵している書籍や資料でもすぐに溜まってしまうので、整理しないとなんですが、古い資料にしか載っていない材料とかもあるので、簡単には出来ないんですよねぇ。

 

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