姫路で瓦の文化を守る四代目表瓦社長のブログ

姫路生まれ育ったの瓦屋根工事店の四代目社長が住宅屋根のお悩みを解決します。

街並みは少しずつ変わっていくので変化が分かり難いです。

こんばんは。
姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
取引先の安全衛生協力会の会議に行ってきました。2ヶ月ぶりで少人数やったけど久し振りに顔を合わせての会議やったので、会議室は窓を開けて密にならないようにしての開催です。普段であればお弁当を食べてからの会議なんですが、今回はお弁当は持ち帰る形で会議のみでした。議題は今期の行事を開催するかどうかです。緊急事態宣言が解除されたとはいっても大人数が集まる行事の開催を判断するのは早計という事でもうしばらく様子を見る事になりました。これから夏にかけての色々なイベントも中止が多いみたいです。残念やけど仕方ないですね。

 

姫路から離れたは学生時代だけです。

 

この年齢になると地元に残っている小中学校の時の同級生って本当に少なくなってしまいます。女性は結婚して離れる人が多いし、男性でも地元に残って就職している人って本当に少ないです。私のように家業を継いでいる友人も何人かはいるけど、大半は姫路から離れてしまっているみたいですね。
私は大学に編入した時に一度姫路から離れました。愛知県の大学やったので通う事も出来ないし、そもそも一度は親元を離れて一人暮らしをしたかったというのと、家から通える大学には学力的に行けなかったからです。

 

同じところにずっと居ると変化が分かり難いです。

 

学生時代の4年間と就職1年目に配属された現場に通う為に半年間、実家を離れただけで後はずっと実家のある住所に居ます。結婚してからも棟は別やけど番地は同じなんです。
大学を出てからでももう20年近く経つので、家の周辺環境もかなり変わってきているんですが、ずっと同じところに住んでいて、少しずつ変化しているとどれくらい変わったのかがイマイチ分からなくなってしまいます。
子供の頃に遊んでいた風景を思い浮かべると大きく違うのはちゃんと分かっているんですが、変化している現状を見慣れてしまっているので、変化を感じないんですよね。

 

写真で見ると変化の大きさに驚きます。

 

先日、事務所の棚を整理していて古い書類を見つけました。そこには昔の会社と家の状況が写真で残されていたんです。日付は昭和60年でした。私が8歳の頃です。

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写真で見てみると物凄く懐かしいし、「こんなんやった!!」って思うんですが、今と比べてみると変わりすぎです。

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同じ角度から写真を撮れる場所が2か所くらいしかないんですよね。それ以外の場所は写真を撮っても住宅街になってしまっていて会社が全く見えなくなっています。
今しか知らない嫁さんに見せたら周辺に建物が全くなくて、あまりの変わりようにびっくりしていました。安易に昔が良かったとは言いたくないけど、こんな田舎やのにちょっと開発が進み過ぎている事に不安を感じます。