こんばんは。
姫路の瓦工事店、表瓦の表(おもて)です。
春のセンバツの高校野球は土日の試合が雨で中止になったし、今日も朝イチからの試合ではなく午後からの2試合だけになったりとスケジュール通りには進んでいません。地元の兵庫県とか近隣の近畿圏の学校ならともかく、他地域から試合や応援に来ている人は延期になったらそれだけ滞在費も余分にかかるのでかなり大変みたいです。地元の学校でも出場が決まったらOBには寄付の依頼が来るらしいんですよね。
選手やその家族だけでなく、学校関係者も大変ですね。
故障や不具合があると買い替えるのが当たり前になっています。
この間から母屋のボイラーや事務所のボイラーが故障して交換せざるを得なくなりました。昔は悪くなった部分の部品を交換したらまた使えるようになっていたものですが、最近はメーカーに連絡すると「寿命やから交換してください」と言われてしまいます。
製造元がそもそも修理をしないという方針になっているんですよね。
ボイラーだけじゃなく、車でも何でも不具合が出たら買い替えるのが当たり前の世の中になっています。
大量生産の弊害やと思っています。
この「修理するより買い替えた方が安い」という状況はバブル経済と言われた30年ちょっと前からの「大量生産」で経済が発展していた時代の弊害ですね。そもそも故障したものを修理するよりも新しくする方が安いはずはないんです。それが同じものをたくさん作っていて、モノが大量に在庫してあるから「手間のかかる修理をするよりも新しいモノに交換した方がいいだろう」というメーカー側の思惑に「モノが新しくなるならそれでいい」と思った消費者が乗っかった結果です。
それでも商品が欲しい人に行き渡っていない状況が続いているならまだ分かるんですがモノが余る時代になっているのに状況が変わっていないのがおかしいんです。
作る側も使う側も意識を変えないとです。
ボイラーとか電化製品とかはちょっと高額ではあっても買い替えはしやすいですが、車となると買い替えるのも即決は出来ないですよね。それが住宅ともなるとそれこそ一生モノって言われるレベルになります。そんなレベルのものでも買い替えるのが当たり前みたいになっている現状ですが、作る側も使う側もなかなか30年以上続いてきた意識を変えられずに今に至っています。現状のままではダメな事は分かっていても変えるのは難しい事ですが、それでもそろそろそういう意識を変えていかないといけない時期になっている気がします。
伝統的な住宅は外壁の焼き板とか瓦一枚から修理や交換が可能です。それを積み重ねて築百年とかの古民家が今に残っているんですよね。逆に今の新築の住宅を100年以上残すのはかなり難しいですね。